この投稿は、2020年5月16日にFacebookに投稿した記事を、一部修正した上、教室ブログにも掲載させて頂いたものです。

●ミュージックチャレンジ 音楽の受け渡しクラシック音楽の普及のためのミュージックランドからの音遊びです。参加するには、好きなクラシック曲を1日一曲で五日間5曲、そして1日1人だれか一人に繋げてください。

・・・・・・・・・

ピアノ友達のT.A. さんから渡されたバトン、今日から1曲ずつ紹介していこうと思います。

5曲目: ゴルドベルク変奏曲(J.S.バッハ作曲)

芸術の進展はアポロ的なものとデュオニソス的なものとの二重性に結び付けられている

これはニーチェの処女作「悲劇の誕生」に書かれた言葉で、芸術にはギリシャ神話の太陽神アポロンに象徴される「理性・秩序」、酒神デュオニソスに象徴される「情動・官能」の2系統の要素があり、二項対立に見えるこれらの要素が上手く融合されている所に芸術の妙がある、というのがこの言葉の私的な解釈です。

今回紹介するゴルドベルク変奏曲では、私の中でアポロン的な楽曲としてトップ5にランクインする名曲です。1つの主題を元に、30のバリエーションが展開する作品ですが、この曲に仕組まれた音楽の父バッハの計算には、曲を知れば知るほど驚かされます。

ゴルドベルク変奏曲の構造を読み解くために、「32」という数字に着目してみることをオススメします。まず、この曲は主題(ARIA)を弾き、30の変奏を弾いた上で、最後にもう1度ARIAを弾く構成、すなわち1+30+1=32曲で編成されています。

そして、各変奏曲は、基本的に32小節で構成されています。「基本的に」という事は例外があるのですが、これもまた緻密に考えられています。例外にあたるのは、「カノン」で作られた第3、第9、第21変奏と、仕切り直しにあたる第16変奏です。気分を変えるための第16変奏が長目の小節で構成されているのは納得の趣向であり、さらに3の倍数に当たる第3・6・9・12・15・18・21・24・27変奏を全てカノンで構成した所に、ニーチェの言うアポロ的要素の真髄を感じずにはいられません。

ここで「カノン」について、音楽に馴染みがない方のために軽く補足させて頂きます。「カノン」 の意味を超簡単に伝えれば、同じメロディーの追いかけっこです。子どもの頃に「かえるの歌」を輪唱した経験がある方は多いと思いますが、原理的にはそれと同じです。「カノン」で有名な曲には、名前のままズバリの「パッヘルベルのカノン」も挙げられます。ここでも同じメロディーがタイミングをずらして掛け合わせながらも、音楽的に崩壊するどころか新たな調和がそこから生まれて感動的な仕上がりになっていますよね。

バッハがゴルドベルク変奏曲の、3の倍数にあたる変奏で仕込んだのは熟練のマイスターによる究極のカノンと言っても良いでしょう。ゴルドベルクで使われるカノン技法は、同じメロディーの追いかけっこによる単純なものではありません。

第3変奏では「1度のカノン」(≒同じメロディー)、第6変奏では「2度のカノン」(≒2度ずらしたメロディーを組み合わせる)、第9変奏では「3度のカノン」という具合に、1度・2度・3度・4度・5度・6度・7度・8度・9度と、3の倍数ごとに、度数をどんどん広げていくという芸当を見せています。計算の上でこれを行うのは、相当な知性が要求されるのは想像に難くないでしょう。

第30変奏では「10度のカノン」のかわりに、「クオドリベット」という技法を使っています。クオドリベットとは、多様な周知のメロディーを結合させて一つの作品にしたものを指します。ピンとこない場合は、当時の人気曲のフレーズを色々盛り込んだ「混ぜ歌」と思って頂ければ良いでしょう。

ジャズではアドリブの際に、他の曲のフレーズをさりげなく盛り込んで、気づいたオーディエンスが「イェイ♪」なんてシーンがありますが、その精神の萌芽はバロックの時代からあったんですね。

以上、曲の構成について「32」というキーワードを中心に簡単にお話させて頂きましたが、エピソード的なものについても多少触れておこうと思います。

前回紹介したベートーヴェンの「熱情」ソナタが、劇的過ぎてBGMに成り難いのに対して、ゴルドベルク変奏曲(特に冒頭のARIA)は、色々なシーンで耳にすることが多い曲ですが、それには理由があります。

ゴルドベルク変奏曲は、不眠症に悩むカイザーリング伯爵が、「気分が晴れない夜のために、いい感じの曲を頼む」的な依頼で、カイザーリング伯爵のお抱え音楽家ゴルドベルク氏に演奏させるためにバッハが作曲したと言われています。ようするに、カイザーリング伯爵としては聴いているうちに寝落ちできる曲が欲しかったわけで、緻密に設計された曲でありながら、お休みのBGMにもピッタリという面白い曲なのです。

ゴルドベルク変奏曲は、色々なピアニストにより演奏・録音されていますが、その中でも特に有名なものはカナダのピアニスト、グレン・グールドによる2つの盤でしょう。

前代未聞の高速演奏で新しいバッハを提示し一世を風靡した1955年度盤(38分)

26年の歳月を経て円熟の境地に達した深い演奏を味わえる1981年度盤(51分)

https://www.youtube.com/watch?v=NvtoaHaG6ao

同じ曲を、同じ演奏者が弾きながら、録音時間が10分以上違うのは面白いですよね。どちらも、それぞれの魅力がありますが、個人的には81年度盤が好みです。よければこの機会にじっくり味わってみてください。

BGMがわりに聴いて気持ちよくウトウトするのも良し。楽譜を分析してバッハの緻密な計算に圧倒されるのも良し。丹念に弾き込んで、左右の手指の独立を鍛えるも良し。色々な楽しみ方があって良いのではないかと思います。

ゴルドベルク変奏曲で5曲目の紹介を終えたところで、このバトンは個人的に一区切りとなります。全部お読み頂いた方、本当にありがとうございます。このバトンを渡してくれたT.A.さん、この記事を書く時間は本当に楽しかったです。素敵な機会をありがとうございます。